三日月のおしゃべり

日々の出来事や気づきを綴っています

毎日が母の日だと思って過ごそう

今日は母の日でしたね。(時間が変わってしまったので昨日になってしまいました、、)

娘から、可愛らしいブリザードフラワーをもらいましたよ😊

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母の日は悲しい思い出と結びつく

毎年母の日が来ると父のことを思い出します。

28年前の5月12日母の日に、父は亡くなりました。

 

だから今日は父の命日。母と妹とお墓参りに行きました。

 

今では父と一緒に過ごした時間より、父が亡くなってからの時間の方がすっかり長くなり、父は思い出の中の人になってしまいました。

 

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父は亡くなる前、数年間海外に単身赴任していました。

 

赴任先で、身体の異変に気付いてからも仕事のことを優先にしていたので、なかなか帰国しませんでした。

 

帰国した時には相当辛かったのだと思います。帰りの便で、あまりにも顔色が悪く辛そうだった為か、「一旦離陸したら引き返すことはできないから、それを承知で搭乗するように」と念を押されたと聞きました。

 

そして到着後、病院に直行し、そのまま入院してしてしまったのです。

 

検査の結果は、すい臓がん。余命3ヶ月ということでした。

 

父は自宅に戻ることなく、3ヶ月も経たないうちに他界してしまったのです。

 

病院で担当医から父の状況について説明を受けたのは母ですが、その時、母がどんな気持ちで先生の話を聞いていたのだろうと思うと、考えただけで辛くなります。

 

当時の私は、母のことを気遣う余裕もなく、母から父の状況を聞き、ただただ信じられない気持ちで茫然と過ごしていたのです。

 

その時すでに社会人でしたが、今思えば、まったく母の力になれず役に立たない娘だったのでしょうね。

 

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母のこと

母が昨年の3月に、ステージ4の悪性リンパ腫に罹患していることがわかった時、自分が罰を受けているのではないかと思ったものです。

 

昨年私は、父が亡くなった時の母と同じ年齢でした。しかも父が癌だとわかったのも同じ3月だったので、もしかしたら母が27年前に経験した気持ちを知るために、今このことが起こっているのではないかなどと考えて、とても怖かったことを覚えています。

 

父にも何も親孝行できないまま終わってしまった上、母にも世話になるだけなって、何もしてあげられないで終わるのかと思い、後悔の念でいっぱいになりました。

 

母のこれまでの人生は、自分のことより人のことに時間を取られてしまい、やりたいこともほとんどできなかったのではないかと思います。

 

母は父が亡くなる前から、近くに住んでいた父の両親のお世話をしていたのですが、父が亡くなった後、二人を引きとり最後まで看取りました。

 

そして、その後1年もたたずに私達が祖父母の住んでいた部屋に引っ越したので、母は、仕事を優先する私の代わりに孫たち(私の娘たち)の面倒を見てくれて、自分のことは後回しで、人のお世話ばかりすることになってしまったのです。

 

病気がわかる直前まで、首が痛いとか、手がしびれると言いながらも、家のことをすべてやってくれて、思い返すと本当に心が痛みます。

 

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毎日が母の日だと思って過ごす

母の治療のサポートをするために私は介護休業を取得しましたが、間もなく1年になろうとしています。

 

この間、8クールもの抗がん剤治療と食事療法が功を奏したのか母の病気も寛解し、わりと気分よく過ごせるようになったので、少し救われた気分ですが、それまでに私が母から奪ってしまった時間を返してあげることはできません。

 

本当は、元気で何でもできる時に、母に好きなことをさせてあげたかったのにと思うと、とても悔やまれます。

 

でも過ぎてしまったことに気を取られていると、今できることも疎かになってしまうので、一日一日を今日が「母の日」と思いながら、できる時にできる事をして、感謝の気持ちで過ごしていこうと思っています。